親学舎とは
親学舎とは (親学舎の理念)
考える楽しさ
 東大赤門
 人が学問を志す動機はさまざまです。
 長く考えあぐねた数学の難問を、突然天啓に導かれるごとく解きえたときの感動。何気なく耳に入った英語の歌の、表現の巧みさ、思想の深さを知ったときの感激。歴史教科書に出てくる無表情の人物が、大河ドラマの中で生き生きと活動するのを見たときの感銘。などなど・・・・私たちの周りには、知的好奇心を呼び覚ますものが、どこにでもいくらでも存在します。そして、「もっと知りたい」という思いに駆られ、私たちは学問への入り口に達するのです。
 学問は、無制限の可能性に満ちた世界です。道なき道に分け入り、生い茂った草木の先に広がる、明るく開けた世界を追い求める営みです。そこには、自己発見の楽しさがあふれています。


東大法文2号館アーチ  表現する喜び

 汲めども尽きせぬ知の泉に臨み、鮮烈な水を味わおうとしても、ただ結んだ手からは水がこぼれます。無定形の水には器が必要です。新しい知識にも、それにふさわしい入れものが必要なのです。
 そこで人間は「ことば」を生み出しました。
 文字で表されたことば、数式で表されたことば、音で表されたことば、色と線で表されたことば、体の動きで表されたことば、・・・・・・。どのような器で表現されるにしろ、ことばは、未知の世界に形を与えます。そして、目に見える形が与えられることによって、漆黒の混沌が明るい陽光の下に示され、力と普遍性を得るのです。見知らぬ世界に分け入る興奮は、搾り出された「ことば」を得ることによって、初めて形あるものとなるのです。
 それは、新しい自分を確認する喜びといってもいいでしょう。

東大安田講堂
さあ、新しい自分を見つけ出そう!

 そんな楽しさが、「勉強」という名の桎梏に奪われてはつまりません。「まなぶ」ことは「まねぶ」ことであっても、知識を腹に溜め込むことではないのです。「まね」たものを噛み砕き血肉とする一方、不要なものはあえて排出する。そうして次の一歩を踏み出す。絶えず食べ続ければただ太り、やがて動けなくなるだけです。自己創造には、しばらく立ち止まって咀嚼吸収する、一見迂遠な道のりが必要なのです。

 さて、大学入試は自らの成長を発表する場だと、君は意識したことがありますか。
 私たちは、大学に入ると、どんどん無知の闇に迷い込みます。それまで知っていると思っていたものが、実は怪しいものだったと気づかされます。しかし、それが福音です。無知の自覚が、新しい知の曠野へと、私たちをいざなうのです。
 そんな知への探求を喜び、自己表現の意欲を持った学生が、今こそ求められています。私たちもまた、そのような自己発見の足取りを、しっかり支えたいと願っています。